花と名前




 植物ってね、人の言葉がわかるんだよ?

 だから私は庭の木や花全部に名前つけて、毎朝話しかけてるんだ。そうすると元気なかった木が元気になったり綺麗な花が咲いたりするの――



「…で、兄さんはそこで何やってるの?」
「うわぁっ!?」

 突如上から降ってきた弟の声に燐は文字通り飛び上がって驚いた。雪男が呆れた眼差しで見下ろす燐は、寮の狭い自室の玄関先とも言えないような上がり間口でしゃがみこんでいた。前には水をはった鉢。暑い今日でも透明な水面に涼やかに身を浮かせる浮き草をじっと見つめて何やら物思いに耽っていた兄は、疲れて帰宅した雪男にとってはっきり言って邪魔以外の何者でもなく、靴を脱いだ膝頭で動線を塞ぐ兄の背中を押しやるようにしてどけると、ため息を吐きながら部屋に上がる。
 燐は素直に場所を譲りながら弟に説明の口を開いた。

「しえみが、植物は名前つけて話しかけると花が咲くっていうから…」
「それ、浮き草だから兄さんが想像してるような花はつけないよ」
「そうなのか!?」

 心底驚いた表情で顔を跳ね上げる燐に、雪男は軽く頭痛を覚えた。しかし兄は萎んだ顔で鉢に視線を戻すから、雪男はため息を吐くしかない。

「…そもそも、それ僕のだし」
「だって俺花なんて持ってねえし、あったとしてもすぐ枯らしちゃうの知ってるだろ?」
「確かに…」

 ネクタイを解きながら遠い目をする雪男が思い出すのは小学生の頃の今時分だ。夏休みの宿題で育てていた朝顔。綺麗に育てて観察日記をつけていた自分に対して、燐は水やりを忘れて遊び惚け簡単に枯らしてしまった。それを反省して育て直したら今度は水をやりすぎて根腐れをおこした。どうして兄はこうも極端なのか。その性格は今も変わらない。
 ネクタイを解けば蒸れていた首元が涼しくなり、一息ついた心地がする。雪男は少し柔らかい口調になって兄に、因みにと言葉を続けた。

「何て名前つけようと思ってたの?まさか『しえみ』?」
「んな゛っ!?」

 尻尾を振り上げて、燐は悲鳴のような声を上げる。弟をみればうわぁとばかりに口元を手で覆っていて、みるみる顔が赤くなった。

「恋って人を痛い人にするよね。兄さんの場合痛すぎるけど」
「うるせぇぇ!!」

 図星をさされて首まで赤くしながら燐が吠えれば、燐の布団の上でうつらうつらしていたクロまで身を跳ねさせる。

『どうしたんだ、燐。雪男が何かしたのか?顔真っ赤だぞ?』
「お前もうっせぇよ!」

 心配したにも関わらず八つ当たり気味に一喝され、クロは頭の上に疑問符を浮かべるしかない。一方で憔悴した兄の様子を見ながら、生前養父がやたら燐をからかっていた理由を冷静に噛み締める雪男だ。
 そうこうしてる内に、

「お前は!?」
「…は?」

 冷静に観察する雪男に急遽矛先を変えて、燐は噛みついた。

「名前だよ!もしつけるなら何てつけるんだよ」

 ふてくされた顔を隠しもせず、上目で見上げてくる兄に一瞬虚を突かれた雪男の頭には素直に答えが浮かんでくる。
しかしまさかそれを口にするわけにもいかず戸惑っているうちに反応が遅れた。その間に燐が表情を意地の悪いものへと変えてくる。

「お前も『しえみ』ってつけるんだろー?おーおー痛ぇなぁ?雪男先生?」
「にっ、兄さんに言われたくない!」
「どうした、先生?焦ってるのが丸わかりだぜー?」

 にやにやにやにや。
 意地の悪い顔を近づけてくる兄に、雪男は臍を噛んだ。身を引いては距離を詰められ、珍しく混乱に陥りもうわけがわからない。顔が赤くなるのも止められないまま、雪男の震える手が耐えきれず持ち上がる。その瞬間、すいと燐の顔が退いた。

「まぁまぁ、お前もまだまだ可愛いとこあんだよな。このことは黙っててやるから、お前も黙ってろよ?」
「…僕は何も言ってないし」

 呟く雪男は疲れた様子を隠せなかった。一方で燐がそんな雪男の様子に気づくような神経などあるはずもなく、豪気に雪男の肩を叩く。はっきり言って痛い。

 (人の気も知らないで。)
 
 叩かれるままになりながら雪男は段々腹が立っていくのを感じていた。だったら、と思うより先に口を開く。

「どうせつけるなら、『燐』ってつけるよ」
「へ?」

 思ったより声に思いがこもってしまったと、焦った雪男の心内など燐は気づかない。意表を突かれ間抜けた表情で目を瞬かせる燐に、雪男は満足して眼鏡を上げる仕草で付け足した。

「そして、枯らす。即刻枯らしてやる」
「酷ぇ!」

 悲鳴を上げる燐の傍らで、気づかれないように息を吐く。

(馬鹿な兄で助かった。)

 これも彼の本音。
   




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 ちょっとラブコメ風に原作をアレンジ…とかできるわけがない。