授業後、更に祓摩師としての仕事を大急ぎで終えた雪男が戻ってきたのはそれでも日付が変わるギリギリだった。
寮の部屋の電気は消されていて、廊下から差し込む灯りで兄のベッドが人一人分膨れてるのがわかる。
「兄さん…」
雪男は控え目に兄を呼んでみた。電気をつけるのは躊躇われて、暗い部屋をゆっくり進み枕元に膝をつく。布団の隙間から黒い髪だけが見えるから頭まで布団をかぶっているらしい。様子を窺うとどうやら寝入ってるわけではなさそうで、雪男はもう一度燐を呼んでみた。
「具合、悪いって聞いたよ。大丈夫?」
「……」
もぞもぞと頭が動くが、肯定か否定かはわからない。思い当たる節が節なだけに無理に布団を剥ぐのも躊躇われ、一度体を起こして雪男は溜め息をついた。とりあえず着たままのコートを掛けて来ようと立ち上がろうとしたところでボソボソと喋る声が聞こえる。
「おかえり…」
変なところで律儀な燐だった。若干脱力して、雪男は再び床に腰をおろす。
「ただいま」
「お前、飯は…?」
「大丈夫。食べてきたよ」
本当は昼以降何も口にしていなかったのだが、雪男はそう返した。そうか、と言ったきり燐も黙ってしまう。若干の沈黙の後で、雪男はこんもり膨らんだ布団から覗いている頭に手を伸ばした。あからさまにビクリと燐が震えて、雪男の手が止まる。しかしそれは一瞬で、掴んだ布団をガバッと一瞬で剥いでしまった。燐が抵抗する間もない。
仄かな月灯りだけで暗い部屋の中で暴かれた姿に雪男は内心くらりとした。どこか熱にとけた瞳。赤い顔が自分を見上げる。一拍遅れて燐が布団を取り返そうとするも遅く、その手を雪男が取った。シーツに押さえつけこそするが、兄の手に力が無いのは自明だ。
「熱、あるの?」
「わかんね…」
一応聞いてみると、泣きそうな顔で燐がそう返す。もぞりと緩慢に脚を摺り合わせるのに、自然視線が奪われているのに気づいて雪男は目を逸らしながら片足だけベッドに乗り上げた。
眼鏡の奥の青い瞳を頼り無げに燐が見上げる。助けて、と口で言われるよりその眼差しの方が雄弁だった。
「でも、何かずっと…こんなんで…昨日のこと頭から離れねぇし、自分でも抜いたのに治まらねぇし…」
緩いジャージを纏う燐の脚がゆるりと動く。絡む程でもないが、それでも押し当てられた太腿は十分熱い。香り立つとでも言うのだろうか。よもやそんな表現を実の兄にするとは思ってなかった。
床に残していた足を持ち上げる。上から覆いかぶさるようにして見下ろす青と見上げる同じ色の瞳。それを細めて、燐が頭を浮かせる。キスしようとしてるのだろうと思ったら、そうしようと思う前に雪男も身を屈めた。熱い唇が頬、顎先と掠めるように口付ける。先にもどかしくなったのは雪男の方で、食らいつくように唇を塞ぐと一通り口内を味わってから解放する。
「大層だね、兄さん…。昨日はどっちかっていうと痛がってたのに」
「やっぱ俺、変…だよな」
しおれた様子で言う燐に、雪男は少しだけ笑った。コートを脱いで机の椅子めがけて放る。それは狙い通り背もたれに掛かったが、首を捻って珍しい弟の粗野な行動を見た燐が軽く目を見張った。
「変、と言えば変かもね。特に兄さんはそういうの、初めてだろうから戸惑うんだろ」
「お前は…?」
違うのかとやや非難めいた眼差しで問いただす兄に雪男は笑い返すだけで、答えない。きっちりと身を固めていたネクタイを片手で解いてそれも椅子に放るとベッドサイドに手を伸ばした。
「原因は、多分これだね」
言って示すのは、半透明の液体に満たされた小瓶。初めて見るそれに燐は胡乱な眼差しを向ける。
「兄さんは気づいてなかったみたいだったけど、潤滑油代わりに使ったんだよ。対悪魔に使う弛緩剤も入ってる。神経に作用して大人しくなる効果もね」
にこりと可愛い弟の笑顔で言う『大人しく』の意味はいくら燐でもわかった。体に力が入らない。しかしそれは単純な痺れではなく、もっと――何をされてもいいとすら思ってしまうような。恐らく一つの催眠剤の類だろう。
えげつねぇぇ、とは燐の心の叫びだ。
「変だっていうのは…」
笑顔のまま雪男は更に続ける。
「あくまで潤滑油代わりだから、そんな効果は殆ど出ないようにした筈なんだ。薄めてあるしね。兄さんが悪魔であることも計算にいれても、ここまで残るとは思わなかった。ごめん、大変な思いさせて」
「本当かよ…!」
「あれ?疑うの?」
少し体を起こして、楽しそうに雪男が口角を持ち上げた。燐が寝間着代わりに着ているTシャツを脱がせて、汗ばんで吸いつくような肌に手を這わせる。痺れにも似た感覚が走って、燐は身を捩らせた。
「僕としても計算外だったよ。まさかこんな…今日は授業無くて助かった。落ち着いて授業なんて出来ない。…効き過ぎたのは『兄さん』だからかな」
「しるか…っ」
こっちはこんなまま根性で高校も塾もこなしてきたのだ。勝手なことを言う雪男を燐は睨んでやりたかったが、それは叶わない。
雪男の触り方は、どちらかと言えば医者が患者を看るような他意のない手つきだったが、だからこそそれに高ぶらされてしまうのが悔しい。
唇を噛んで耐えようとするも、薬品を扱うせいか若干かさついた手が胸元に伸びて、既に立ち上がっていた乳首を捉え今度こそ責める手に変わればもうダメだった。
「んぁっ…はぁっあ、く…ぅ…あっあ、やめ…っ」
兄から上がる甘い声を雪男は先ほどとは一転表情を消して聞いていた。昨日初めて触った時はくすぐったがってばかりだったそこを最初から最後まで弄り続けて、今みたいに身を捩り感じるようにしてやった。
じわりと胸に広がるのは満足感。
気持ちいいかと聞くまでもなく、先程以上に顔を赤くして目尻に涙を溜めてまで感じる燐に半ば衝動的に身を折って紅く充血したそこに歯を立てた。
「いっ!?つぅ…」
今度は慰撫するように唾液を纏った舌を優しく絡める。一度は緊張した体が解けてシーツに沈むのを見計らってジャージのパンツに手をかける。燐は抵抗しなかった。どころか自ら脚を開き、雪男の手を迎える。触れたそこは当然のように熱く、下着の中に潜らせた手を絡めれば燐は切なげに鳴いた。
「あっ…あっぅ、ん…ぁっ」
頭を乗せる胸がせわしなく上下する。兄はまるで喘鳴のようなしゃくりあげるかのような声を上げる。愛撫は続けながら軽く顔を上げれば、実際泣いていた。
「……兄さん」
こういう時、憐憫よりももっと虐めたいと思うのだから兄には申し訳ないと思う。欲を殺した低い声で呼べば、反応した燐は眼鏡の奥の瞳を見つめた。
「キス…」
兄の求めに応じて雪男も伸び上がって顔を寄せる。力の入らなそうな腕が持ち上がって雪男の首に絡んだ。震える手が背中のシャツをぎゅうと握る。
「んっふ、ぅ…ん…」
先に舌を差し入れてきたのは燐だった。熱い舌で雪男の口内を味わうというよりは貪るような口付けは、今の燐の状態そのものだ。求められている、そう感じた雪男はまた少しの満足感を得て、口付けは好きにさせたまま兄に絡めてそのままだった手を動かし始めた。始めは緩く、その内にぬるついたものが溢れ出してきて扱く手つきも激しくなる。もっととばかりに濡れた鈴口を指先で抉れば燐はたまらず口付けを振りほどいて悲鳴を上げた。
「ぅ、ふ…んっあ、あ、ゆき…あっああっ」
くちゅくちゅと水音がする。雪男が体を起こすと、絡んでいた両腕は呆気なく解けて赤い顔を隠してしまった。
「お、れ…ぇ…っ」
「…何?」
静かに欲を湛えた眼差しが眼鏡越しに燐を見下ろす。両腕の間から垣間見える尖った耳は酷く赤い。
「くす、りの…っせい、なん…よな…ぁっ?」
上がった息に邪魔されながら紡ぐ言葉の先を雪男は無言で促した。ヒッと大きく一つしゃくりあげて、燐は腕で顔を隠したまま熱く重い息を吐く。
「きょ、だいで…シたから…っア、ばち…あたったかと…おも…っ」
燐の喘鳴は止まらなかった。
雪男は一瞬目を見開いて、そのまま吐息で笑う。腕の中には、快感に溺死寸前の兄。その尻には黒い尻尾。自分に全てを許して、シーツに力無く沈んでいる。悪魔である証。
この姿で。この兄は。
何てことを言うのだろう。こんなになってまで、まだ。
「ねぇ、兄さん」
今度こそ欲が殺せなくなった声が燐を呼ぶ。もう少しでイけそうだったものから手が離れ、知らず物欲しげな吐息を燐が零す間に顔を隠す腕がぐいと剥がされ、露わになった瞳からまた一筋涙が落ちた。
雪男はそれを見下ろしながら、一度置いていた例の小瓶を手に取った。虚ろだった瞳がはっとして今更な抵抗を始める。力が入らない体を捻って弟の体の下から這い出そうとするも、それを許す雪男ではなかった。ジャージの下を下着ごと剥ぎ、口で栓を抜いた小瓶の中身を右手に滴る程纏わせる。
「いやだ…っ待…雪男、やめ…」
またあの感覚を味わうのかと、声も顔も恐怖に染まっていた。そんな燐に、雪男は笑いかける。しかしそれは例えば塾で自分や学友に意地悪を言う時のようないつもの笑みですら無くて、もっと質の悪いものだった。
ひたりと、濡れて冷たくなった指が後孔に押し当てられる。
「っあ…」
「兄さんは、どうしたいの?」
「いァっ!?」
ぐっと指に力が籠もる。熱で緩んでいたのか、それとも昨日の今日だからか指は大した抵抗なく燐の身の内に呑まれていく。ぐちゅっと鳴る水音が生々しく部屋に響いた。
「もう、僕とはシたくない?」
「あっ…ひ、あァっンァ!」
指一本とは言え胎内をぐちぐちと探られて燐が言葉で答えられるわけない。しかしどうにか首を左右に振ると、一度指を引き抜かれ今度は中指を伴って一気に奥まで貫かれる。
粘ついた薬品を過剰な程纏った指がナカをかき回す度、燐は悲鳴のような嬌声を上げた。昨夜は痛みと異物感が先だった。今は――
「気持ちいい…?」
「…っ」
ビクビクと震える燐を見下ろして雪男が尋ねると、目尻に溜めた涙を散らして首肯する。
「気持ちいいからでいいよ。それも薬のせいだ。それで…兄さんはどうしたい?」
一度、動きを止めて雪男が再び問う。ぐったりとシーツに四肢を投げ出して荒い息を吐く燐の瞳に光が戻ってきた。 緩く視線をさまよわせてから、雪男を見つけてくしゃりと顔を歪める。
「…シたい…」
「なら、素直になれよ。嫌だなんて言わないで」
「くすりがいやだ…」
「……」
「いたくて、い…から…っ」
「ごめん…」
言いながらせわしなく上下する胸元に雪男は額を落とした。熱い体温。焼けるようだ。
顔を上げて、舌がチラつく赤い唇に食らいつく。千切るような勢いで舌を絡めながら、自分のズボンの前を寛げる。後ろからの方が兄の負担にはならないのはわかっていたが、全ての力が抜けてくたくたの四肢を見てそのまま脚に手を掛けると正面から自分の熱を押し当てた。
「ゆ、きお…」
自分の手でどろどろになった兄が、あの兄が、欲を孕んで、自分を呼ぶ。自分を欲する。倒錯感に今すぐぶっ倒れそうだ。
「力、抜いてて」
グッと腰を進めると燐が高い声を上げた。構わず腰を進めると、一番狭い所を潜ってぬるつくまま一気に貫いた。濡れて熱い内壁が絡みつき、思わず深い息を吐く。と、衝撃について行けず軽く過呼吸になっている燐に気づいて頬を捉えて無理やりにでも目を合わせる。
「息吐いて。深く」
「はっ、はっは…ぅ…はぁっ」
「そう、…上手」
余裕のなかった表情を少し緩めて、雪男は燐に笑いかけた。
「痛い?」
「…じょぶ、だ…って」
まだ荒い息のまま、燐が唇を尖らせる。見た目明らかにそうではないと思ったが内心に留めて、その表情に駆られて雪男はもどかしげにシャツを脱ぐと脱力した体を抱きしめた。兄の心が解けたのが嬉しかった。
しかしその抱擁が燐にとっては弟に奥まであばかれることになり、苦しげに眉根を寄せる。
「ぁっふか、…ぃ」
「動くよ…」
「あ、っ?ふ…あ、ああっ」
重なっていた体温が離れて、大きく開かれた脚に、弟の腰骨が何度も当たる。その度に自分も知らなかった体の裡にまで弟が入り込む。グッと腰が持ち上げられて視界に入った光景にゾクリとした。汗ばんだ顔に前髪を張り付かせ、余裕のない顔で自分を見つめる弟。その下肢が自分と繋がっている。
強く揺さぶられながら、単純に弟だけを責められないと燐は感じていた。そもそも自分の負担にならないように雪男は薬を使ったわけで、それだって言う通り効果を抑えてあったのだと今ならわかる。原因は自分にあった。
『こんなこと』をされていたのだ、自分は。変にもなってしまう。
そこまで考えていた瞬間、燐の思考ははじけ飛んだ。
「何、考えてるんだよ…」
「あっあ、あっ…」
ビクビクと体が勝手に痙攣してしまう。痛い程勃起していた自身に、雪男の指が絡んで強く扱かれていた。限界はとうに来ていて、それと知らず吐き出している最中のそれを雪男は容赦なく責め続ける。まるで拷問だった。イったばかりのそこを、強くしかし巧みに弄られ同時に胎内を深く抉られて、死ぬと燐は悲鳴を上げた。
辛い。感じ過ぎて辛かった。
「あっあっも…もぉやだぁ…ッ!!」
涙は止まらない。濡れた鈴口を抉られ、同時に胎内の腹側を強く穿たれて半ば強制的に湧き上がる射精感のまま、燐はイってしまう。
「っ!…出すよ…!」
「っぃ、…!」
声も出なかった。ただかみ殺し切れなかったといった体の雪男の苦しげな声が聞こえ、同時に体の深くで何か熱いものを感じたのを最後に燐は意識を手放した。
***
「風邪ひいちゃった?」
「へ?」
心配そうに此方を覗き込んでくるしえみに、燐はそう返した。
翌日、兄弟二人して遅刻ギリギリで登校した高校の授業を終え、塾の教室でこれから始まる授業を待つ中だった。心から心配そうな顔でこちらを見てくるしえみを直視出来ず、視線を泳がせる。
「あー…うん、まぁ」
「声酷いもん。昨日も具合悪そうだったし。風邪なら…ニーちゃん!」
看病の類をしてくれようとしたのだろう、肩に携えている遣い魔を振り返るしえみに、燐は慌ててストップをかけた。
「まぁ、でも昨日ほどじゃねぇから」
大丈夫と言った言葉は本当だった。違うだるさはあったものの、昨日のどうしようもなかった体の熱は大分落ち着いていた。昨夜結局自分が気をやったのは数分で、その後もまるで馬鹿になったように二人で体を繋ぎ続けたのだから、当たり前と言えば当たり前だ。これでまだ体がどうとか言うのなら、自分は本当に変になっている。病院行きだ。
「そう?」
そんな事実を知るわけのないしえみの声にはまだ心配の色があったが、燐が何度も頷くのを見て引き下がることにした。
ちょうど始業の鐘が響いた。今日も授業が始まる。しかも一限目は雪男の授業だ。しえみがよし、と気合いを入れたところで、教室の前の扉が開いた。憧れの教師がいつものコート姿で教壇に立つのを見て、その様子に小首を傾げる。
「何か雪ちゃんも疲れてそうだね…って、燐?どうしたのっ?」
隣の席を見れば、先程大丈夫だと言ったばかりの燐が机に撃沈していた。顔が真っ赤だ。
「へ、平気だから…お願いだから、そっとして…」
「雪ちゃんっ、燐が!」
…おいてくれ。そんな懇願すら最後まで言わせて貰えず、教室中の視線を集めて燐は泣きたくなった。尤も涙はとうに枯れていたが。
「…えっと…」
小さくそう漏らす雪男の声から見なくてもその表情がわかる。呆れてる。そして怒ってる。でもこれは半分は雪男のせいだ。教室入った瞬間にバッチリ目を合わせなくていいじゃないか。おかげでバッチリ昨夜のことがフラッシュバックしてくれた。先程まで落ち着いていたどころか忘れてさえいた熱が一気にぶり返す。
「…奥村君、立てますか?」
「…ギリギリ」
机に額をついたまま、燐が答える。雪男は深い溜め息を吐いた。緩慢な動きで顔を上げた燐に気づいてにこりと笑いかけると燐の顔が凍る。
「じゃあ、保健室でもトイレでも好きに行って下さい」
とっとと出ていけ。
笑顔の裏でそんな声を燐は聞いた。一方でその笑顔にすら――
「…燐?」
「トイレいってきます!」
深く俯いていたと思えば椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり教室を後にする燐をどこか唖然とした視線達が追う。
二度目の深い溜め息を吐くと教壇に立ち少し開始が遅れた授業を始める雪男の内心は荒れに荒れていたが、その表情は柔らかかったことに本人は気づかなかった。
――――
「ばちがあたる」と兄さんに言わせたかったが為に書きました。満足。